本文
今年度100歳を迎える市民の皆さんは、22人いらっしゃいます。
長寿の皆さんのお宅を訪問し、内閣総理大臣のお祝い状と銀杯、市からはひざ掛けの記念品を贈呈しました。
藤後たまさんは、関東大震災が起きた大正12(1923年)9月1日に横浜で生まれ、その年の秋、避難のために母方の実家があった小湊地区に移り住みました。地域の優しい皆さんに囲まれ、毎日美しい海を見ながら育ったそうです。高台の上に立つご自宅でお話をお伺いしました。
ありがとうございます。私は、関東大震災から避難するために小湊に移り住んできたんです。その時から周りの人みんなが優しくてね。たくさんの人にかわいがってもらいました。
昔、郵便局や旅館で働いていた時は難しいことが多くて大変だったけど、その時も一緒に働いていた地元の人が良くしてくれて、楽しく仕事ができたの。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。市長さんにも来ていただけてうれしいわ。
杖と手すりを使って一人で昇り降りしますよ。朝と晩に散歩をするために歩いています。
家に続く階段は2つあって、家の裏手にある緩やかな方を使っています。家の前にある階段は段差が高くて、家族に心配されてしまうの。でもそっちの階段でも一人で昇り降りできるんですよ。
▲高台に建つご自宅
▲家の裏手にある階段。たまさんは1日2回この階段を使って散歩をしているそう
好き嫌いなく何でも食べることかしら。娘の料理がおいしくてね。食事だけじゃなくて、いつも私のことをよく見ていてくれるの。それとね、私は4つ上に姉がいるんですけど、姉は今103歳なんですよ。もしかしたら長寿の家系なのかもしれないですね。
インタビューに同席した娘の美也子さんは「3食しっかり食べてくれます。お肉も食べるし、たまにはハンバーガーも。コーヒーもブラックで飲むんですよ」と話していました。
▲笑顔で話すたまさん。家の本棚にはたくさんの料理本が並んでおり、藤後家の「食の大切さ」が伺い知れました。
▲同居の娘さんとお祝いのため家を訪れた2人のお孫さんに囲まれて。
鈴木房子さんは曽呂地区で生まれ育ち、今年の5月に高齢者施設へと入所しました。
70代まで農業しながら4人のこどもを育て、6人の孫と9人のひ孫に恵まれました。
入所している施設でお話を伺いました。
ありがとうございます。皆さんのおかげです。みんなよくしてくれてうれしいです。たくさんの方に集まっていただいてうれしいですよ。
今日は車いすだけど、いつもは歩行器を使って歩いているんですよ。トイレに行くときは職員の方に声をかけますけど、全部一人で出来ますよ。食事の介助もいらないの。好き嫌いもなくて、なんでもおいしく食べますよ。
昼間は塗り絵、工作などの創作活動や体操やボール運動など身体を使った活動をしていますね。あとは他の入所者の方とおしゃべりをしたりして楽しく過ごしていますよ。
100歳ってすごいことですよね。昔は今より物が少なくて大変な時代だったと思う。
今日は市長さんから賞状、お祝いの品をいただきました。ほんとうにありがとうございます。母もとても喜んでいると思います。
▲2人の娘さんと
▲市長からお祝いの品を贈呈