ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > ようこそ市長室へ > 【市長コラム NO.7】酪農家皆さんのある初秋の一日

本文

【市長コラム NO.7】酪農家皆さんのある初秋の一日

ページID:0017993 更新日:2022年10月15日更新 印刷ページ表示

 初秋の9月13日「鴨川地区ホルスタイン共進会」と、10月1日「安房郡市乳牛共進会」に出席しました。いずれの大会もコロナ禍で2年ぶりの開催となりましたが、酪農家の皆さんの生き生きとした笑顔が印象的でした。

 特に鴨川地区の大会は50年の歴史を誇り、日本酪農発祥の地である嶺岡山系の麓、吉尾大川面運動広場を会場として行われました。当日は、酪農家のみなさんが丹精込めて育てた雌牛、31頭の未経産牛・経産牛が出品され「モーモー」の鳴き声が、長狭平野に響き渡りました。そして飼料等高騰おり飼育環境が厳しい中でも、みなさんの乳牛への熱い情熱と今後の酪農業をいかに守るかの想いなど、元気な声を聞くことができました。

鴨川地区ホルスタイン共進会

(鴨川地区ホルスタイン共進会 入賞者の皆さんと記念撮影)

 ところで、鴨川市はもとより安房地区は古くから酪農が営まれ、基幹産業の一つになっています。鴨川市教育委員会の発行する「吉尾のあゆみ」によると、安房地域の酪農は江戸時代に8代将軍徳川吉宗が「享保の改革」の一環として嶺岡牧が再興され、そこで馬や白牛の飼育が積極的に行われ、この地が酪農の発祥の地になったことは良く知られています。

 江戸時代から時を経て、明治20年ごろから東京では牛乳の需要が高まり、安房畜産組合で嶺岡畜産会社とともに乳牛の飼育を進めました。その結果、牛乳の生産量が増したことにより、製乳事業への関心が高まり練乳会社が乱立したようです。明治・大正期の一時期、安房地域では約 40 の練乳製造業が創業し、吉尾村には大川面に練乳・バターを製造する練乳所が設立され、大正6年には日本練乳会社(現・森永乳業株式会社)に譲渡されています。こうして製乳会社が設立されると、牛乳缶の需要が増え牛乳缶を製造する安田製缶(現・ヤスダファインテ)が開業するという歴史をたどります。こうしたことは、まさに嶺岡山系の麓である長狭・曽呂地区の酪農が鴨川市の基幹産業の一つになっていった歴史がわかります。

 こうした歴史を受け、鴨川地区から今年の「安房郡市乳牛共進会」では、シニアチャンピオン1頭(松本光正さん)、県大会出品牛では未経産牛・経産牛合わせて6頭(糟谷英文さん・藤平友和さん・松本光正さん)の雌牛が選出され、県大会に出場することになり、大変誇らしく思う、初秋の暑い一日でした。

粕谷さん

(安房郡市乳牛共進会の様子)

皆さまのご意見をお聞かせください

お求めの情報が充分掲載されていましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現はわかりやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?

所信表明
施政方針
市長から皆さんヘメッセージ
【コラム】市長のちょっとひと言
市長の週間予定
市長の動き(カメラニュース)
市長へのメール・手紙