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久保尚之 政策アドバイザー 

ページID:0022088 更新日:2023年9月15日更新 印刷ページ表示

 久保政策アドバイザーの写真

 市では、シティプロモーションや観光誘客・宣伝、移住の推進など、さまざまな場面で市の魅力を発信するに当たっての課題を把握・整理するとともに、事業の企画などに専門家が有する知識・経験を活用するため、長年にわたり放送局の番組制作などを手がけてきた 久保尚之氏を令和5年4月26日に「政策アドバイザー」に委嘱しました。

 5年前に都内から移住し、快適な鴨川ライフを送っている久保政策アドバイザーのご自宅で、これまでのお仕事や普段の生活などを伺いました。

政策アドバイザーとしての活動は

 現在、市役所のさまざまな関係部署の方に会い、会議の中で課題があればアドバイスをしています。今年の5月以降に会議をしたのは、総務課秘書広報室、商工観光課、スポーツ振興課。今後、企画政策課と「移住・定住」について話し合う予定です。

 会議に参加してみて、各部署が縦割りで業務を行っているため、広い視野を持つことが難しくなっている印象があります。市と外部団体が一丸となって鴨川市を盛り上げていかなければ何も変わりません。思い切って改革を起こさなければならないのではないか、などと意見しました。委嘱されて以降、月1回程度の市役所などでの活動となっていますが、今後はもっとしっかりと関わりをもっていきたいですね。

市の職員との会議の様子

▲「思い切った改革を」 市の担当職員にアドバイス

 

鴨川市の足りないところは?

 何が「ウリ」なのか分からないことです。“何でもある”は“何にもない”と同じこと。何か一つ鴨川の強みを作るために、みんなで考えることが必要だと思っています。

 例えば、最近では勝浦市が「日本屈指の涼しい街」をPRしていますが、あれは大変な強みですよね。いすみ市は、学校給食を全て有機米に変更し、給食費を無償化している。メディアを活用したPRもうまくいっていて、「住んでみたいな」と感じさせられる。

 鴨川の「ウリ」は何なのか。他とは違う「何か」「ストーリー」はあるか。「ニュース性」はあるか。ドラマや映画を積極的に誘致し、フィルムコミッションに力を入れるのも、手だと思う。無駄なことをせずに、どこにお金を投入して、どこに力を入れるのか。鴨川の中だけではなくて、もっと外向けを意識した活動をしないといけない、と伝えました。

市長と意見交換する写真

▲市長とも意見を交換

放送局で38年にわたり番組を制作。一番思い出深い番組は?

 久保政策アドバイザーの写真

 夏になると、1985年8月12日に起こった「日本航空123便墜落事故」を思い出します。

 あの頃は入社1年目で、報道カメラの助手として御巣鷹山へ取材に行きました。38年経った今でも、事故のあった現場の光景と匂いは忘れられません。

 墜落した日にそのまま取材に行き、重い機材を持って自衛隊と一緒に道なき道を進んで行きました。着の身着のままで向かったので、来ていたシャツが汚れても宿の洗濯機でジャブジャブ洗って、繰り返し着ていました。着替えが届いたのは取材を開始した日から4日後、その頃には白いシャツが真っ黄色になっていました。

 食べ物は、宿泊先の旅館の方が握ってくれた「おにぎり」のみ。真夏の暑さですぐに傷んでしまうのですが、それしか食べるものがないんです。なのでその傷んだおにぎりを食べ、川に直接口をつけて水を飲んでいました。あとからその川の上流でご遺体を洗っていたと聞いて・・・絶句したのを鮮明に憶えています。

 汗まみれ、泥まみれになりながら、約1カ月間、御巣鷹山で取材を行いました。

 これ以上のひどいことはないと思っていましたが、東日本大震災は、さらにひどかった。岩手県から福島県までぐちゃぐちゃでしたから。(※青森~千葉で被害があったが、取材したのは岩手~福島)

 NHKのドキュメンタリーで東日本大震災の復興支援の様子を5年間、取材したんです。震災1年目は、どこのメディアもみんな取材に行っていました。2年目以降になると段々と取材に行かなくなっていくのですが、NHKは取材をし続けました。被災地の方が取材の際に「忘れられてなかった」と安心したように話していて。起こったことを風化させないためにも、大変意義のある取材だったと思っています。

 日本以外でもロケや取材をしました。世界50カ国で現地のホームレス、時には大統領にもインタビューをしました。通訳も同行していましたが、相手の目を見て、一生懸命話せば相手もこちらの伝えたいことを理解しようとしてくれました。何とかなるものです。

きっかけは「金八先生」 その後、報道へ。

 中学校の時「金八先生」の第1回目の放送があり、それを見て感動したのがテレビ業界を目指した始まりです。こんなに感動的なものを無料で見ることができるなんて、テレビってすごいな!と。

 ドラマ制作をやりたいと思っていましたが、高校・大学で、朝日ジャーナルに刺激され、時の政権と向き合わなければいけないと思い直し、卒業後は政治・報道・ドキュメンタリーの道へ。約38年間、番組の制作に携わりました。

 まだまだできる、とは思いましたが、区切りをつけて鴨川で新しいことをやりたいと思い、60歳で退職しました。

 

なぜ、鴨川市に?

 ロケや取材で世界中を飛び回っていましたが、「最後は日本の田舎で過ごしたい」と思うようになりました。

 50歳を過ぎてから早めに動こう、と思い、本格的に移住先探しをスタート。7年前に鴨川市のふるさと回帰支援センターに参加したことをきっかけに仲間ができ、「ここなら都内から近くて通えるし、ほどよい田舎で、いいかも」と、鴨川に決めました。半年間は、駅前のアパートを借りながら物件を探し、10軒ほど見てからこの家にたどり着きました。

鴨川市移住・定住サイト(先輩移住者の声)

 家は、もともとあった築15年の家をリフォームしたものです。令和4年12月に完成。リビングからの眺めが気に入っています。

リフォームした家の外観の写真

▲昨年リフォームが完成した自宅

美しい田園風景が広がる家の周りの写真

▲家の周りは美しい田園風景が広がる

 

鴨川の生活は?

 満喫していますよ。景色もいいし、嫌なところはないですね。

 退職してからは、毎日朝5時に起床→庭の畑で野菜を収穫、6時25分にテレビ体操を10分→朝食→畑仕事というルーティーンで過ごしています。

 家の外にサウナも作り、東京から友人を呼んで一緒に楽しんでいます。脇に設けた水風呂の浴槽は、近所の友人からいただいたもの。サウナに入って、水風呂に入って、ウッドデッキで寝転ぶ。これが何より最高なんですよ。

サウナの写真

▲庭に設置したサウナ

ウッドデッキから見れる風景の写真

▲ウッドデッキからの眺め。夜には満天の星空も。

 家の下の畑では、ナスやオクラ、トマト、サツマイモ、キュウリ、トウモロコシ、果物はプラム、ミカン、レモンを育てています。

夏野菜の写真

▲庭で採れた夏野菜

 自家製の肥料で育てていて、もらった牛糞や野菜くずを入れているので、生ごみはあまり出ません。

今後は、家の近くで米作りをしたいと思っていて。今は、別の方がその田んぼを借りているので、順番待ちをしている状態です。

 リビングには暖炉を設置しているので冬もふんわり暖かい。庭に3年分の薪をストックしているので、とりあえず安心です。

暖炉の写真

▲居間の暖炉

薪の写真

▲庭にストックした薪

鴨川の生活で大切にしていること。

 人脈作りでしょうか。色々なところに顔を出すと、仲間ができますし、楽しいです。

 家で使っている醤油や味噌は、作っている団体に顔を出して分けていただいているもの。人脈は生活に直結しています。

 私自身、鴨川の生活を心の底から楽しんでいます。地域の方の人柄も最高。鴨川を選んでよかった。

 ただ、鴨川の知名度はまだまだ。鴨川に移住することを都内の友人に打ち明けた際には、「え?京都?」などと聞き返されました。鴨川の魅力を、どう効果的にPRしていくか。どうしたら伝わるか。これからも皆さんと共に考えていけたらうれしいですね。

久保政策アドバイザーの写真

鴨川市政策アドバイザー 久保尚之氏(60歳)

 東京都出身。前職は、株式会社TBSスパークル エグゼクティブ・プロデューサー。昭和 60 年に日本ビデオ株式会社(現 株式会社TBSスパークル)入社。ドラマ・バラエティ・ドキュメンタリー・映画・アニメから報道・スポーツまで手掛ける日本最大級の映像制作会社で、TBSほか民放キー局、JNN各局の番組制作のほか、NHKのドキュメンタリー番組などの企画制作を数多く手がける。主な実績はTBS「サンデーモーニング」「報道特集」、テレビ東京「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」、フジテレビ「Mr.サンデー」、日本テレビ「news every.」など。

※インタビュー内容は令和5年8月16日現在です。

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