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令和5年夏、兵庫県の阪神甲子園球場で開催された「第105回全国高等学校野球選手権記念大会」。この輝かしい舞台に、鴨川中学校出身、日本大学第三高等学校(日大三高)3年生の安田虎汰郎選手がエースとして出場しました。
また、台湾で開催されたU-18ベースボールワールドカップ<外部リンク>の日本代表(侍ジャパン)にも選出。堂々の代表デビューを果たし、侍ジャパンの世界一に貢献しました。
安田選手は、このほど鴨川市役所を訪問し、笑顔で甲子園出場とワールドカップ優勝を長谷川市長に報告しました。
安田選手は、父・剛さんのすすめで、小湊小学校2年生から野球を始め、小湊スターズとAKマリーンズで、鴨川中学校時代は袖ケ浦リトルシニアでプレー。現在は、東京都町田市・日大三高の野球部に所属しています。
1年の秋からベンチ入りし、昨年の夏の甲子園にも出場。今夏の甲子園では「チェンジアップ」を武器に西東京代表のエースとして活躍。1回戦の兵庫県代表「社高校」戦で見事に完封勝利。続く2回戦の佐賀県代表の「鳥栖工業高校」戦でも2回途中から無失点の好投でチームの勝利に大きく貢献しました。3回戦の岡山県代表「おかやま山陽高校」戦では惜しくも敗れましたが、チームをベスト16に導きました。キレのあるストレートに加え、打者の手元で沈むチェンジアップは、この夏、甲子園に鮮烈なインパクトを残しました。
甲子園での活躍などが評価され、安田選手は、8月31日から9月10日まで台湾で開催された「第31回WBSC U-18ベースボールワールドカップ」の日本代表“侍ジャパン”U‐18出場選手に選出されました。安田選手は、日本代表の初戦となるスペイン戦を始め、アメリカ戦、チャイニーズ・タイペイ戦と3試合に登板し、毎試合で三振を奪うなど世界を相手に力投。日本代表は決勝でチャイニーズ・タイペイ代表に2-1で勝利し、10度目の出場で初優勝、世界一の栄冠に輝きました。
鴨川が一番落ち着きます。鴨川の海が大好きで、見るとすごく落ち着いた気持ちになる。
地域の皆さんの応援があって、力を発揮することができました。
温かい地域に後押しされて、本当に感謝しています。
▲窓の外には鴨川中学校。中学校時は生徒会長も務めました。「毎朝行った挨拶運動が一番の思い出です」
野球を始めた頃からイセエビ漁師の祖父の船に乗り、今も実家に帰ると漁を手伝っています。
網を引くので、相当くたびれるんです。
小さい頃から手伝っているので、ケガをしない体づくりとか、バランス感覚が養われたのかなと思います。
とにかく走りです。走りがいいのは、バランス、足腰、体幹が鍛えられること。
小学生のとき金田正一さんの野球教室に参加したんです。その時、金田さんみたいになるには?と聞いたら、「走れ!」と言われました。そこからです。走りを意識したのは。
昔の選手が好きなんです。かっこいいんですよね、戦後の苦労があって、全身全霊で挑んでいる感じが。
今日の野球の基礎は先人の方たちが築き上げてきたもの。その方たちがいなければ僕たちは野球をできていなと思うので。尊敬しかないです。
西鉄ライオンズの稲生和久さん、阪神の村山実さん、大洋ホエールズの小山正明さんが憧れです。稲生さんは漁師の生まれという共通点もありますし。
村山さんの闘志、小山さんの技術。それが僕の目指すところで、そういうピッチングしたいんです。
決め球のチェンジアップは、中学のとき、見様見真似、手探りで覚えました。
今年に入ってから、平成23年夏の甲子園優勝投手で日大三高OBの吉永健太朗さんに実際にお会いする機会があり、適切なアドバイスをいただいたことで、キレや精度が格段に上がりました。
人生を変えていただきましたし、そういう機会を与えてくれた指導者にも感謝しています。
僕はどうしても日大三高に行きたくて。
同じ外房で育った一宮町出身の小倉全由監督の指導を受けたかったんです。
袖ケ浦リトルシニア時代に「日大三高にどうしても行きたい」という話をしたら、奇跡的に見に来てもらえて、お声をかけていただきました。
「練習は嘘をつかない」
これは小倉監督の座右の銘で、それをいただいた言葉です。
侍ジャパンに選ばれた時は、信じられなかった。テレビで見ていて、同世代なのにすごいな、このボール打てないな、と憧れていた選手と一緒にプレーできたことは、純粋に嬉しいです。
とてもいい経験をさせていただきました。
▲世界大会と西東京大会優勝のメダル、世界大会の背番号は16。「川上哲治さんの番号なので嬉しい」
世界大会では、日大三高で学んだこと、心がけたことを実践したら優勝することができました。
野球以外の面でもそうです。挨拶や感謝の気持ちはもちろん、ごみがあったら拾う、などは当たり前のこと。
日大三高で学んだことを実践したからこそ選ばれた。
日大三高でやってきたこと間違ってなかった、と感じることができた大会でした。
試合でピンチになったとき、前の試合ではこうだったな、あーだったなと、落ち着いて考えることができましたし。
「気持ちは熱く、頭は冷静に」。
この言葉は、日大三高の三木有造監督から教わりました。
三高のユニフォーム持ってきましたのでこれを市長に持っていただきたいです。
このユニフォームは僕の誇りです。
僕の人生は、甲子園一色。平成27年の東海大相模が優勝したとき、テレビで見ていて、漠然とした憧れが生まれました。
「自分も絶対、甲子園に行きたい」、と。
東京地区は本当にレベルが高い。その東京を勝ち上がって甲子園にいくということはとても大変でしたし、今振り返っても良く勝ち上がったなと思います。
素晴らしい仲間たちと出会えて、一緒に勝ち上がって、甲子園に行けたことが何よりも嬉しかった。
本当に最高の夏でした。
▲西東京大会優勝の瞬間
▲最高の仲間と、憧れの舞台・甲子園へ
(写真提供・スタジオ千島)
▲甲子園を沸かせたピッチング
小さい頃から鴨川でキャンプをしていた千葉ロッテマリーンズがとても身近な存在でした。
キャンプ期間中はいつも通っていて。サインもいっぱいもらって。球場も楽しくて。
千葉ロッテマリーンズが本当に大好きです。
将来的にロッテ球団にお声を掛けていただけるのであれば、それは本当に幸せなことです。
現在高校3年生なので、卒業後は進学を希望しています。大学に進学して野球を続けたい。現役を長く続けていけたら嬉しい。
ただ、僕は「高校野球」に魅力を感じているんです。
人生を通して甲子園を目標に戦いたい。
単なる野球ではなく、「高校野球」。小倉監督、三木監督のような指導者になりたい、と思っています。
▲市役所に掲げられた懸垂幕の前で
僕は日大三高で甲子園に行くことができて、とても幸せでした。
お父さん、お母さん、家族は、ぼくの知らないところで色々なサポートをしてくれた。本当にありがとう。
温かい地域の皆さんに囲まれ、鴨川で育ったことは僕の自慢です。
小湊スターズ(小湊小)→AKマリーンズ(小湊小)→袖ケ浦リトルシニア(袖ケ浦市)→日本大学第三高等学校(東京都町田市)。身長176cm、体重76kg。ポジションは投手、右投げ左打ち。好きな言葉は「先発完投」。座右の銘は「練習は嘘をつかない」
※インタビュー内容は、令和5年9月18日現在です。