本文
市史ミニ講座~日蓮と鴨川~
日蓮と鴨川
- 日蓮宗の開祖として知られる日蓮聖人は、貞応元(1222)年に安房国長狭(ナガサ)郡東条郷片海(現鴨川市小湊)に生まれたといいます。
- 清澄(キヨスミ)寺で修行の後、京都、奈良の諸大寺で勉学を積み、再び清澄寺に戻り、建長5(1253)年に日蓮宗の立教を宣言しました。
- 文永元(1264)年、久しぶりに東条郷に帰った日蓮は、西条華房(サイジョウハナブサ)(現鴨川市花房)の蓮花寺に滞在して、布教活動を行いました。その年の11月11日に信者である天津城主、工藤吉隆(クドウヨシタカ)の招きを受けて、華房から天津へ向かいました。
- 東条郷の地頭、東条景信(トウジョウカゲノブ)は熱心な念仏信者であったので、かねてから日蓮に反感を抱いていました。
そこで、この機会に日蓮を討とうと考え、弟子を連れて東条の小松原に差し掛かった日蓮一行を襲ったのです。 - 弟子の鏡忍坊は討たれ、日蓮も危なくなりましたが、急を聞いて駆けつけた工藤吉隆の働きによって難を逃れました。しかし、吉隆は討ち死にしました。
- 後に、日蓮の命によって、鏡忍坊と吉隆が討たれた小松原(コマツバラ)の地に一寺が建立され「鏡忍寺(キョウニンジ)」と名付けられました。
- なお、この事件を「小松原の法難」といいます。