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市史ミニ講座~長狭六郎常伴と鴨川~
長狭六郎常伴と鴨川
- 平安時代末期の安房の在地領主としては、丸氏、沼氏、神余(カマナリ)氏、安西氏、長狭(ナガサ)氏が知られています。
- 万寿5(1028)年から長元4(1031)年の平忠常(タダツネ)の乱以後、長狭氏以外は、東国で勢力を強めた源氏の従者となっています。
- これに対し、郡名の長狭を家名として名乗った長狭氏は、隣国上総国の夷隅(イスミ)地方を支配していた上総氏と結んで勢力を強め、源氏とは一線を画しながら長狭郡一帯を支配していました。
- 平治元(1159)年の平治の乱で、源氏の勢力が衰えると、長狭氏は公然と平氏に近づき、一段と勢力を強めました。
- 治承4(1180)年8月、反平家の兵を挙げた源頼朝は、石橋山の戦いに敗れ、安房に逃れて再挙をはかった時、その前に立ちはだかったのが長狭常伴でした。
- 9月3日のたそがれ時に、常伴はにわかに頼朝を襲いました。しかし土地の様子に明るい三浦義澄らに討ち取られました。
- この戦いが、どこで行われたかは定かではありませんが、市内貝渚(カイスカ)に「一戦場(イッセンバ)」という地名があり、ここがその場所であるとする伝承があります。
- 長狭常伴は一時期、郡名を家名として安房最大の勢力を誇っていましたが、あえなく三浦氏らに討たれて滅びました。