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市内の観音寺では、「憂国の烈女」として知られる畠山勇子の初節句を祝ったひな人形が公開され、鮮やかなつるしびなとともに飾られています。コロナ禍の影響により、昨年3年ぶりに開催され、通常開催となって2年目の今年。同寺の森谷義眞住職は「地域の歴史を知っていただき、お寺で楽しいひと時を過ごしてもらいたい」と話していました。
令和6年3月3日(日曜日)まで
午前9時から午後5時まで
※毎日午後1時に畠山勇子を偲ぶ法要が行われます
観音寺 04-7092-3540
畠山勇子は、慶応元(1865)年、現在の鴨川市前原生まれ。明治24(1891)年、来日中のロシア皇太子が警備中の巡査に切りつけられる「大津事件」が発生。日露両国の関係悪化を心配した勇子は、ロシアや日本政府へ嘆願書を投じ、「一身を捧げ日露和平の礎とならん」と京都府庁の前で自刃。27歳で命を絶ったとされています。
その壮絶な死は「烈女勇子」として世間に広められたといわれています。
勇子がなくなって間もなく、京都の末慶寺から分骨され、郷土である鴨川市の観音寺にお墓が建てられました。
昭和15(1940)年には、50回忌を迎えるに当たり、地元有志が顕彰牌を建立。そのことを縁に昭和33(1958)年、勇子の父の実家で保管されていたひな人形が観音寺へ奉納されたといいます。
ひな人形は、貿易商を営んでいた勇子の叔父、榎本六兵衛が贈ったものとされています。
「多くの人に畠山勇子のことを知ってもらいたい」という思いで、毎年3月のひな祭りに合わせて、観音寺の本堂でひな人形が公開されています。さらに、ひな人形の周りは、「つるしびな」や干支の辰、花の飾りで彩られています。このつるしびなは、約20年前に御詠歌衆(ごえいかしゅう)や有志の方などが、ひなのつるし飾り発祥の地である静岡県伊豆市稲取を訪れたことをきっかけに作られたものです。全て、御詠歌衆や有志の方などの手作りであり、一つひとつ丁寧に作られたものです。
また、フォトスポットも設置され、つるしびなに囲まれて記念写真を撮ることができます。
▲ひな人形とつるしびな
▲ひな壇には今年新しく作られた辰と椿の花の飾りも。椿は本物の葉と組み合わせられています
▲東日本大震災が起きた翌年に作られた桜の花の飾り。震災により笑顔が少なくなっている、と感じ「笑顔の花がたくさん咲きますように」という願いを込めて作られたものです
▲勇子生誕150年の際に作られた桜餅の飾り。150年に合わせて150個作られました
▲子どもが健康に育つように、と願いが込められたつるしびな。一つ一つが手作りで、さまざまな願いが込められています
▲つるしびなを眺める見物客。「とてもきれいですね。見ると思わず笑顔になります」と話していました
▲つるしびなに囲まれたフォトスポット。記念撮影をすることができます