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数学者・郷土史研究家 堀江顕齋

ページID:0001020 更新日:2021年6月2日更新 印刷ページ表示

堀江顕齋(ほりえけんさい)

 1805(文化2)年~1851(嘉永3)年 数学者、郷土史研究家。

 安房国長狭郡和泉村(現在の鴨川市和泉)で生まれた堀江顕齋は、名を是顕、通称を太左衛門といいます。磯部家の次男として少年時代は近くの龍泉寺に通い、漢学を学びます。その後堀江家の養子となってからも学問を好み、特に数学に興味を持ちます。

 35歳の頃江戸の数学者長谷川弘(はせがわひろむ)注釈1の門人となり5年ほど学びました。帰郷してからは農業を営みながら「蓮祖旧蹟志」を出版します。地域の教育に努め、名主として期待されましたが、1850年に46歳の若さで亡くなりました。

 注釈1 江戸の数学者、長谷川寛の養子、養父が築いた和算の塾「数学道場」を引き継ぐ。
 佐沼(現在の宮城県登米市)の生まれ。

堀江顕齋

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