江戸幕府直轄の牧、「嶺岡牧」全体を描いた絵図で、「房州峯岡山野絵図」と「房州朝夷郡柱木野絵図」の2枚です。「峯岡山野絵図」は鴨川市を中心に南房総市にかけて、「柱木野絵図」は南房総市丸山付近の絵図です。嶺岡牧全体を表した絵図はほかに知られていません。
絵図の成立年代の記載はありませんが、絵図内に書かれた村の領主名から、「房州峯岡山野絵図」は頃、「房州朝夷郡柱木野絵図」は享保10年(1725)から11年前半頃に製作されたものと推測されます。納めていた袋に記載された「享保十年六月」とも一致します。
「控」の記載があることから幕府に提出された正本ではないようですが、絵図の完成度から限りなく「正本」に近く、地元で管理された「控」と推定されます。正本にあたる絵図は現在まで確認されていません。
絵図の大きさ
- 房州峯岡山野絵図 縦1220×横2735mm
- 房州朝夷郡柱木野絵図 縦895×横813mm
2枚の絵図
現在、この絵図は2枚で構成され、両絵図の紙の材質は異なっています。両方の絵図に描かれた曽呂川の位置、大井村を示した楕円形の位置が重ねられることから、正本は1枚の大きな絵図だったのではないかと考えられます。地元で使用されていたと思われるこの控については、1枚の大きな絵図としても利用できるように合わせられたものとも推測されます。
書かれている内容
- 牧の範囲内には、高低や形状など様々な山(丘)が描かれ、その多くに呼称が記されています。
- 牧の境界線上には、隣接する村々(野付村)の境となる地点が赤い点で示されています。
- 峯岡山野絵図は54ヶ村、柱木野絵図は13ヶ村、の村名と石高、治めていた領主名・代官名が、私領・公領の色分けとともに、楕円形の中に記されています。これらの村々は、「野付村」「野続村」と称し、牧の維持と管理のための労役を担いました。
- 周囲の村から牧へ入る経路及び牧の範囲内の道筋が赤色の線で記されています。
- 牧の範囲内から流れ出る小川や沢が青色の線で示されています。
- 野馬の水呑み場となる場所が、峯岡山野絵図は58ヶ所、柱木野絵図は2ヶ所、大小様々な青色の円形で示されています。山上でありながら、豊富な湧水があったと思われます。
- 峯岡山野絵図は、野馬を捕獲するための施設「馬捕り場」が西牧・東牧にそれぞれ1ヶ所ずつ設けられています。柱木野絵図には、野馬を捕獲するための施設「馬捕り場」の位置は記されていません。
- 峯岡山野絵図には、北に加茂川、南に曽呂川が記され、柱木野絵図には東北に曽呂川、西に丸山川が記されています。両地図に描かれた曽呂川と道筋を重ねると、一枚の絵図として利用できます。
- 柱木野絵図には、曽呂川の南に、独立峰として「鷹鶴山」(高鶴山)が描かれています。
房総の牧
鴨川市・南房総市にまたがる嶺岡牧だけではなく、千葉県内には他にも幕府直轄の牧場がありました。
房総全体の牧については、こちら。
房総の牧<外部リンク>