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明治大嘗祭・主基斎田跡

ページID:0000991 更新日:2021年5月31日更新 印刷ページ表示

主基斎田跡

主基斎田跡(埋蔵文化財)

 主基斎田(すきさいでん)は、明治天皇の即位後最初の新嘗祭(にいなめさい)注釈1 である大嘗祭(だいじょうさい)注釈2 に斎田として選ばれた場所です。大嘗祭に用いられる新穀は卜定(ぼくじょう)注釈3 された悠紀(由基)と主基(次)注釈4 の2ヶ所の斎田から献上されます。明治4年の大嘗祭では、悠紀斎田が甲斐国巨摩郡に、主基斎田は安房国長狭郡北小町村字仲ノ坪の6反歩(約60アール)に卜定されました。

 村では斎田の周囲には青竹を立てて、しめ縄を張り、垣をめぐらせて厳重に囲いました。また、隣地には八神殿、稲実殿などを設け、番屋で花房藩の役人が警備しました。大嘗祭に先立ち神祇省(じんぎしょう)から抜穂使(ぬきほのつかい)ら8人が多くの従者を伴って訪れ、抜穂式(ぬきほしき)は厳かに行われました。

 この周辺の地名は、明治22年に北小町村を含む5ヶ村の合併の際に大嘗祭にちなみ由基村とされ、大正4年に主基村と改称されました。現在はその栄誉を記念して碑が建立され、主基斎田址公園として整備されています。

  • 注釈1 毎年宮中で行われる収穫を感謝する祭事
  • 注釈2 即位後最初の新嘗祭を特に大嘗祭という
  • 注釈3 骨を焼いてできたひびによって占い定めること
  • 注釈4 悠紀斎田と主基斎田は大嘗祭ごとに全国から選定された田を指します。悠紀は聖域、主基は副の意とする説が強いとされます。
  • 場所:千葉県鴨川市北小町字仲ノ坪
  • 交通:安房鴨川駅から路線バスで「北小町入口」下車、徒歩5分

案内図はこちら(PDF:88.9KB)

主基斎田跡

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