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主基斎田(すきさいでん)は、明治天皇の即位後最初の新嘗祭(にいなめさい)注釈1 である大嘗祭(だいじょうさい)注釈2 に斎田として選ばれた場所です。大嘗祭に用いられる新穀は卜定(ぼくじょう)注釈3 された悠紀(由基)と主基(次)注釈4 の2ヶ所の斎田から献上されます。明治4年の大嘗祭では、悠紀斎田が甲斐国巨摩郡に、主基斎田は安房国長狭郡北小町村字仲ノ坪の6反歩(約60アール)に卜定されました。
村では斎田の周囲には青竹を立てて、しめ縄を張り、垣をめぐらせて厳重に囲いました。また、隣地には八神殿、稲実殿などを設け、番屋で花房藩の役人が警備しました。大嘗祭に先立ち神祇省(じんぎしょう)から抜穂使(ぬきほのつかい)ら8人が多くの従者を伴って訪れ、抜穂式(ぬきほしき)は厳かに行われました。
この周辺の地名は、明治22年に北小町村を含む5ヶ村の合併の際に大嘗祭にちなみ由基村とされ、大正4年に主基村と改称されました。現在はその栄誉を記念して碑が建立され、主基斎田址公園として整備されています。